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東京地方裁判所 昭和61年(ワ)4974号 判決

原告

石川正彦

被告

安田信託銀行株式会社

右代表者代表取締役

山口吉雄

右訴訟代理人弁護士

渡辺昭

主文

原告の請求を棄却する

訴訟費用は原告の負担とする

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は原告に対して、金一二、七八六、七〇〇円及び内金一〇〇、〇〇〇円に対する昭和四八年六月一〇日から、(中略)内金二〇〇、〇〇〇円に対する昭和六三年六月一〇日から、各支払い済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二主張

一  請求の原因

1  原告は昭和二六年四月被告に入社、以来従業員として勤務し今日に至っているが、その間に昭和三二年三月中央大学法学部を卒業している。

2(1)  被告の給与は本俸と諸手当に大別され、その本俸が第一給与と第二給与とに分かれている。昇給は毎年四月一日に就業規則の一部である給与規定と被告と安田信託銀行従業員労働組合(以下、組合という。)との間の労働協約に基づいて行われる。昇給は協約によって第二本俸を増額する所謂ベースアップの額と第一本俸の定額昇給分(一、〇〇〇円)に被告の人事考課において「標準者」もしくは「標準者以上」とされた者に対して加算される額とによって決まる。即ち、被告の給与において、勤務能力と勤務成績の評価による差がでるのはこの第一本俸の定時昇給の加算額においてである。

(2)  被告は、事務職員を書記、主事補一級、主事補二級、副主事、主事、参事補、及び参事の資格区分に分け、人事考課に基づき上位資格へ昇格させているほか、各資格に対応した資格給と職務手当を支給している。

(3)  賞与は年二回支給されるが、その支給額については部長又は支店長が、課長及び次長の意見を徴して決定している。

3  原告は、被告入社後、検査部等を経て、昭和四六年以降、財産管理サービス室(昭和四六年二月~四八年二月)、証券部部長付(昭和四八年三月~同年七月)、証券部投資顧問室(昭和四八年九月~四九年一一月)、検査部企画係(昭和四九年一二月~五一年八月)、証券代行部部長付監査班(昭和五一年八月~五四年四月)、証券代行部書換課(昭和五四年四月以降~六二年七月)に配属されたが、そのいずれの部署においても与えられた職務に精励し被告の業績に寄与してきた。その勤務態度は真摯であり、職務上必要とされる業務上の知識が同僚と比較して特に劣るようなところはなかった。しかして、満五五才に達した昭和六二年八月以降は先任社員に就任し、証券代行部部長付として証券代行部各課で作成または管理している書類が所定のとおり作成されているか否かを調べる業務に従事している。

このような原告の職務遂行能力、勤務態度等からすれば、原告は昭和四六年四月以降、被告の人事考課上「標準者」として扱われるべきであった。そうすれば、資格も「標準者」として昭和五〇年四月主事に、昭和五四年四月参事補に、昭和五七年四月副参事に、昭和五九年一〇月に参事にそれぞれ昇格したはずである。

4  しかるに、被告は人事考課の上で原告を五段階評価のうちの最下位に評価してきた。被告が低い評価の事由であると指摘する協調性に欠け、勤労意欲に乏しいが根拠のないものであることは、原告に与えられていた職務の内容が単純で他の係と折衝を要するようなものでなかったこと、業務改善のための提案をしばしば上司に行っていたことからも明らかである。原告に対する、昇給・賞与、昇格の面での差別的な取扱いは次のようなものである。

(1) 昇給・賞与において原告は不当に低く評価された人事考課に基いて最下位者として扱われ、給与については昭和四六年四月一日以降別表(略)一の(1)欄記載の、賞与については昭和四七年一二月以降別表二の(2)欄記載の各金員しか支給されなかった。

(2) 昇格についても、原告は昭和三九年副主事に昇格して以来現在に至るまで、そのままの資格に止められており、別表一の(4)欄記載の資格給及び同表の(7)欄記載の職務手当しか支給されなかった。

5(1)  原告の提供した労働の質は、標準者もしくはそれ以上と評価されてしかるべきものであったから、昇給・賞与に関する被告の右の如き取扱いは、悪意をもって原告の経済的損失において被告が不当に利得したものである。

仮に、然らずとするも、被告の右取扱いは、昇給・賞与に関する原告の期待権を侵害したものとして、不法行為にあたるというべきである。

仮に、然らずとするも、被告による原告に対する昇給・給与の面での処遇、差別的扱いは原告の労働組合での正当な行為を理由とするもので、不当労働行為に該当し、不法行為を構成するものである。

〈1〉 原告が検査部に所属していた昭和四五年当時、被告においては従業員が出張中の日曜日について日当を支給していなかったが、組合から検査部所属の組合員に対し、これについて同部の意見を統一して通知するよう指示があった。同部では日曜日にも日当を支給すべきであるという統一意見をだした。原告もその根拠に関しては他の組合員とは異なっていたが、日当を支給しないことに反対の意見を表明した。被告は右統一意見を受け入れ日当を支払うこととし、現在にいたっている。

被告はその頃から原告を「標準者」未満として扱うようになった。これは原告が右のように検査部において意見を表明したことを理由とするものにほかならない。

〈2〉 原告が証券部投資顧問室に所属していた昭和四九年六月頃開かれた組合の職場集会において、原告は人事考課においてデメリットの査定を受けた者に対して本人或いは組合にその事由を告げるべきであること、賞与を決める労働協約に最低保障の定めがないので「標準者」未満と査定された組合員は却って支給額が前年を下回ることがあることを述べて、協約で増額の最低線を保障すべきであることを主張した。

原告の右集会での発言内容は、客観的には強いものではないが、極めて穏健な路線を歩んできた組合の歴史からすると、先例がない程内容が強いと受け取れるものであり、集会における原告の態度も同様強硬なものと受け取られたのである。

右集会後の人事考課、査定において、原告の昇給額は前年度までの一四〇〇円から一〇〇〇円に下がった。これは、原告の右集会における発言を理由としたものである。

したがって、被告は原告に対し、右不当利得ないしは不法行為により、給与については昭和四六年四月以降昭和六三年三月までの間、賞与については昭和四七年一二月以降昭和六三年六月までの間、「標準者」が支給を受けた給与・賞与(それぞれ別表一の(2)欄及び別表二の(2)欄記載のとおり)と原告が支給を受けた給与・賞与(別表一の(1)欄及び別表二の(1)欄記載のとおり)との差額(給与については別表一の(3)欄、賞与については別表二の(3)欄記載のとおり)を支払う義務がある。

(2)  昇格に関する被告の前記の如き取扱いは、昇格に関する原告の期待権を侵害したものとして不法行為にあたる。

したがって、被告は原告に対し、右不法行為により、原告が前記3のように昇格したら得られたであろう資格給、職務手当(それぞれ別表一の(5)欄及び同表の(8)欄記載のとおり)と原告が支給を受けた資格給、職務手当(それぞれ別表一の(6)欄、職務手当については同表の(9)欄記載のとおり)との差額(資格給については別表の(6)欄、職務手当については同表の(9)欄記載とおり)を支払う義務がある。

6(1)  賃金は、毎月一日から月末までの分が当月一八日に支給される。

(2)  賞与は、毎月一月から六月までの分及び七月から一二月までの分が、人事考課に基づき、それぞれ六月一五日及び一二月一五日に支給される。

7  よって、原告は被告に対し、請求の趣旨記載のとおりの判決を求める。

二  本案前の主張

原告は昭和五七年東京地方裁判所に対し、本件訴訟と全く同一の事実を主張し、被告に対して被告から現実に支給を受けている給与及び賞与と原告が自らを評価し、支払うべきであると称する給与及び賞与との差額の支払いを求める差額賃金請求事件(東京地裁昭和五七年(ワ)第一四三四二号事件)を提起し、昭和六〇年三月一四日、同裁判所から請求棄却の判決を受け、これを不服として東京高等裁判所に控訴したところ、同裁判所は同庁昭和六〇年(ネ)第一一四九号差額賃金請求控訴事件として審理を遂げ、同年一二月一六日、控訴棄却の判決をした。

右訴訟における原告の主張は、本件訴訟におけるそれと異なるものではなく、被告の人事考課は原告の勤務能力と勤務上の功績を正当に評価しておらず、労働協約に反する債務不履行であるか、または原告の昇給・賞与に関する期待権を侵害する不法行為であるというものであった。本件訴訟は請求原因を不当利得返還請求としているが、前の訴訟と同一の差額賃金の支払い請求であることは明白で、実質的には二重起訴であるから、信義則からいっても、かかる訴えは許されない。

三  請求原因に対する認否及び主張

(認否)

1 請求原因1、2(1)(2)(3)の各事実はいずれも認める。

2 同3の事実のうち、原告の勤務した部署がその記載のとおり異動したことは認めるが、その余は否認する。

3 同4冒頭の事実のうち、人事考課において、被告が原告を五段階評価の最下位に位置づけていたことは認めるが、差別であることは否認する。同(1)(2)の各事実は認める。

4 同5(1)(2)の各事実のうち、別表一の(1)(4)(7)の各欄記載の金額および別表二の(1)欄記載の金額は認めるが、その余は否認ないし争う。

(主張)

1 原告の給与・賞与が主張の頃から他に比較して低く評価され、昇格も遅れていることはそのとおりであるが、これは原告の勤務態度及び職務上の能力が主張の頃から著しい低下を示し、責任を以て与えられた事務を処理しようとする意欲に欠け、組織のなかでの自分の地位や職務を正しく認識し、上司、同僚後輩と協力して事務を処理しようとする協調性がみられず、周辺とトラブルを起こし、異常な行動が目立つようになったためであり、被告が原告に対し職務を誠実につくしていたにもかかわらず、理由なく低い評価をしたというのではない。

2 被告の人事考課制度は細部の変更や見直しが行われてきているが、昭和四四年以降は評定ランクabcdeの五段階方式とし、昭和五四年からは右のcをc゜、dをc、eをdと評定ランクの名称を変更したが、その内容に変更はない。右の評定ランクにおいてabcdeのときはdを、abc゜cdのときはcをいずれも「標準者」としているものである。aを「抜群」、bを「優秀」、c゜を「普通の上」、cを「普通」、dを「不十分」とするのである。被告は評価の客観性を担保するため、評定者を複数とし、かつ評定者の好悪、偏見を排し、評価において陥りやすい錯誤(ハロー効果、対比錯誤)に留意し、人事管理の公正な運用を期している。原告主張の期間、原告の評定はすべて「不十分」である。従って、原告は「標準者」に加算される第一本俸の加算額について「標準者」としての加算をうけることができなかったのである。

3 賞与は年二回、第三次能力評定者(部長又は支店長)が第一次評定者(課長)及び第二次評定者(次長)の意見を徴し、当該期間の実績に基づき、当該資格者のいかなるランクに位置づけられるかを能力評定と同じ五段階方式で評定することになっており、最も優れた者に三メリットを付与し、以下二メリット、一メリット、プラスマイナス零(これを「標準者」とする)、及びマイナスメリットである。原告に対する評価は主張の期間についていずれもマイナスメリットである。

4 昇格は、能力評定における第三次評定者が毎年一月一日時点における被評定者が直上の資格に要求される職務遂行能力をどの程度備えているかを評定し、知識、判断総意企画、交渉折衝、指導、責任、協調、積極意欲、統率、教育の各項目毎にABCDのランク付けをなし、昇格の可否を決定する。

原告の昇格評定は主張の期間中すべて最低のランクであり直上資格(主事)としての職務遂行能力を備える見込みはないとされていた。

第三証拠(略)

理由

一  先ず、原告の本件訴えの適否について判断する。

(証拠略)によれば、被告主張の前訴において、原告は被告が人事考課の上で原告を不当に低く評価し、原告に対し、昇給・賞与、昇格において差別的的な取扱いをしたとして、給与については昭和五〇年四月以降昭和五九年一〇月までの、賞与については昭和四七年一二月以降昭和五九年一二月までのそれぞれの期間につき、「標準者」に支給された給与・賞与の額と原告が支給をうけた給与・賞与の額との差額を求める旨の請求をし、その請求原因が、第一次的には労働協約もしくは公正査定義務違反に基づく債務不履行、第二次的には期待権侵害、または不当労働行為に基づく不法行為による損害賠償請求であることが認められる。

本件訴えは第一次的には原告の提供した労務を不当利得として、労務に対応する金員の支払いを求めているが、その実際は給与が昭和四六年四月以降昭和六三年三月までの、賞与が昭和四八年六月以降昭和六三年六月までのそれぞれの期間において、「標準者」に支給された給与・賞与の額と原告が支給を受けた給与・賞与の額との差額の支払いを求めるものである。しかも、第二次的な請求原因は前訴と全く同一の期待権侵害、または不当労働行為に基づく不法行為による損害賠償請求である。前訴の既判力が本件訴えに及ぶかは別として、原告は前訴と全く同じ紛争をむし返して被告に応訴を余儀なくさせているのであるから、信義則上、前訴で審理の対象となった期間の給与・賞与につき本訴で審理の対象とすることは許されないと解すべきである。

よって、この部分の訴えは却下を免れ得ない。

二  本案についての判断

したがって、本訴において審理の対象となるのは、昭和五九年一一月以降の給与及び昭和六一年六月以降の賞与の差額についてである。

請求原因1、2(1)(2)(3)の各事実、同3の事実のうち、原告がその主張のとおりの部署に勤務していたこと、同4(1)(2)の事実は当事者間に争いがない。

先ず、不当利得に基づく請求であるが、原告の主張は原告の提供した労務の質が「標準者」の基準に達していたことを前提とする。雇用契約の目的である労務の内容と提供される労務の質は千差万別であるから、対価たる賃金をきめるに際しては必然的に評価をともなうことになる。この場合、労務の質をどう評価するかの自由が労務の提供を受ける側にはあり、この評価が受け入れ難い労働者には退職の自由を保障するというのが、雇傭を契約として構成する民法の建て前である。本件においても、人事考課は雇用者である被告の自由な裁量において行うことができる。本件においても、原告との雇用契約における賃金決定の基準となる原告の提供した労務の質の評価は人事考課に基づき被告が判断するところに依るのである。

原告の被告における人事考課の評価が五段階評価の最下位であることは原告が自ら述べるところである。

そうすると、原告の提供した労務の質は「標準者」に達していなかったといわざるを得ないから、標準者であることを前提とする原告の主張は、その余について判断するまでもなく失当である。

次に、期待権侵害に基づく差額請求であるが、既に述べたとおり、人事考課は雇用者である被告の自由な裁量においてなし得ると解される。もっとも、これは全くの恣意を許すものではないから、人事考課の方法が公序良俗に反する等の違法事由があり、その結果として被雇用者の利益を侵害したときには不法行為が成立する余地はある。

しかし、本件において、人事考課の方法等が違法であったと推認すべき証拠はない。却って、(証拠略)を総合すると、被告においては人事考課の公正を期する目的から、「人事考課要領」を設け、統一した基準により従業員の能力、態度、適性等を評定、把握することに努めていたこと、評定が偏向しないために被評定者を担当する上司三名(被評定者の職位、所属部課によって多少の違いがあるが、原告の場合は、課長、次長、部長)が、下位から順に一次評定者(丙)二次評定者(乙)、三次評定者(甲)として、それぞれ独立して評定を行っていたことが認められる。

更に、原告は、原告に対する差別的な取扱いは組合の集会での発言を理由とする不当労働行為であると主張する。

しかし、原告の主張どおりの発言があったとしても、これらが他の組合員の組合活動に影響を及ぼし、その結果被告が深刻に対処しなければならないといった性格のものとは認められないし、被告が今から一八年あるいは一五年前のかかる些細な発言をとらえて現在に至るまで原告を不利益に取り扱っているなどとは到底考えられない。

したがって、原告の昇格・昇給、賞与に関する被告の取扱いが不法行為を構成するとの主張もまた失当である。

三  以上のとおり、原告の本訴請求は理由がないからこれを棄却することにし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 畔栁正義)

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